ごはんの食べ方 吉野家編
どうも、sayranです。
今日はご飯の食べ方について記事にしてみたいと思います。
よく、自分が思うほど他人は自分を見てないといいますが、あれは間違いです。
日本人はおそらく周りの人と自分を対比する癖があります。外国の人は本当に周りの人を気にしないらしいです。
ツイートでよく電車の中で変な人見た報告がありますが、結局誰かしらに見られています。Twitterのおかげでみんな他の人を見ている事が明らかになりました。
吉野家のようなU字カウンター形式の飲食店。
ここで毎回気になる「ごはんの食べ方」について。
対面式のカウンター
目の前にしきりがなく前の人と目が合うかもしれない、このタイプのカウンター。
牛丼屋の定番レイアウトですが、この形式を変更しないのはおそらく回転率を考えたものではないかと思います。
席の狭さとあわせて、普通の感覚だと落ち着いて食べられないですよね。
そしてこの対面式。
否が応でも前の人の食べ方が目に入ります。
食べ方にヒエラルキーの壁はあるのか
テーブルマナーを習得しているような人は吉野家みたいなところにはあまりこないと思います。
来る人は子供の頃の食べ方の教育をそのままさらしている人の可能性が高いです。
上流社会を除いた中流以下の人たちの食べ方。ここにヒエラルキーの壁はないですね。
職業や年齢、性別に関係なく食べ方がきれいな人はきれいですし、汚い人はきたないです。
以下、気になる食べ方各種をあげてみたいと思います。
クチャラー
最近はあまり遭遇しませんが、たまにいます。
生理的嫌悪感をもよおしますよね。
いつも思うのですが、大きくなるまで誰か注意しなかったのでしょうか。
注意されても治さなかったとしたら、本人の社会性を疑ってしまいます。
ガムをかむみたいな感じはマジで勘弁してほしいです。
残す
実はクチャラーと関連しているのですが、自分で頼んだものを残す。
これはかなり見た感じが悪いです。
昔飲み会で、ついだ酒は全部飲んで帰れと言われたことがありますが、食い物を残すのは僕は最低だと思います。
しかも食い残しがめちゃ汚い。。。
片づける人の身になって考えるとあり得ない行為という事ができます。
肘をついて食う
肘はついていないけど、これに近い食べ方をしている人は案外多いです。
子どもっぽい食べ方ですね。
子どもがそのまま大きくなった感じがする人です。
食べ方なんて人それぞれだ、という気もしますが、見た感じがよくないのでいつも反面教師にしています。
ちなみに、中学生のころ肘をついて食べてたら先生に怒られました。それ以降は肘をついて食べた事はないです。
箸の使い方より食べ方
箸の持ち方もよく言われますが、それよりも食べ方のほうが体を表している感じがします。
ギャル曽根って大食いの女の人が人気が出たのは、食べ方がキレイだからですね。多分。
食べ方については、どちらかというと現場仕事をしているような人のほうがキレイに食べている印象が強いです。
サラリーマンの人たちも大体の人がキレイに食べるのですが、たまに汚い人を見かけます。子供っぽい人のほうが多いかもしれません。病んでるんですかね。
食べる行為も排泄と同じという考え方
確か仏教の教えだったと思いますが、食べる行為は排泄と等しいという考え方があったような気がします。
体に入るものと出るものは同じく汚いという事ですね。
テーブルマナーが存在しているという事はそういう事なんでしょう。昔三角食べとか教わった記憶があります。
習慣の恐ろしさ
こういう習慣的行為は子供のころの教育でほぼ決定されます。子供のころに厳しく言われた人は運がいいです。
僕の場合は、頭悪くてもいいからごはんの食べ方だけはきれいに食べろと言われた記憶があります。
何も言われなかった人はそのまま大きくなってしまい、場合によっては重大な機会損失を生むことになるかもしれません。
昔、そばの食べ方が汚いのでお付き合いできません、という話が話題になりましたがあれも重大な機会損失ですね。
人とご飯を食べる時のふるまいはそのまま社会性の有無にも直結しています。相手に不快な思いをさせないよう気遣いができるか、という事です。
人を見る時にご飯に誘うのは常套手段です。
お子さんがいる方は今のうちにメチャ厳しくしつけしておくくらいでちょうどいいと思います。
大人になってる方は、自分で気が付かない可能性が高いので人から感想を聞いてみるのもいいかもしれません。
外に出たら案外他人から見られています。
ごはんの食べ方については、おそらく女の人のほうが細かいとこまで見てると思われます。
他人と自分の比較はする必要はありませんが、見られている意識は持っておいたほうがいいのではないか僕は思います。
今日はちょっとうざい感じの記事になってしまいました。
おわり