ちゃうちゃうマガジン

働く人に向けた雑誌ブログです

長州力 コラコラ問答に見る「何がしたいのか」

コラコラ問答

今となってはすっかり有名になった「コラコラ問答」。
ゼロワン率いる橋本真也WJプロレス率いる長州力の口喧嘩による前哨戦。
プロレスの世界でいう典型的なアンクルである。
何がやりたいんだコラ、紙面を飾ってコラ、何がやりたいか、はっきりいってやれ。
このくだりから始まる問答は有名になりすぎて一時期AKBの子達がコントで完コピしていた。
ここで僕の心に響いた言葉がある。
「何がやりたいのか」

なにがやりたいのか

フリーランスになって、起業して何がやりたいのか。金儲けして何がやりたいのか。
世の中の大半の財やサービスを生産している労働者やその環境を斜に構えてチクチク突っついて何がやりたいのか。
芸能人になって有名になって金儲けして何がやりたいのか。
こんなブログを書き連ねてなにがやりたいのか。
何がやりたいのか、この一言につきる。人からこの言葉を問われて即答できる人はどのくらいいるのだろう。
自分を表現したいと思っている人はおそらく即答できると思う。作曲家、画家、小説家、書道家、彫刻家、いわゆる作家と呼ばれる人たち。
読んで字のごとく、家を作る、私性がある。自分の魂を削ってまでも自己表現をしたい、金はそんなに必要じゃない。
要は金なんじゃないかと思う。

金の先にあるもの

イギリスの格言だったか定かではないが、さびしい人ほど金がかかる、というのがあったと思う。
金とは一体なんなのか。
一般的には手段の一つと言われている。聞けば確かにそうとも思う。でも現実はそう理解して生活している人がどの程度いるんだろう。
紙幣自体に価値はない。むしろその紙幣を作るのに確か数円程度のコストがかかっていると聞いた事がある。
一万円の一万は付加価値でしかない。
その金をめぐって争いが起きる。あなたにとって金とは何なのか。その金で何がやりたいのか。
大抵はないよりあるほうがいい、ないと不安だからという当たり前の答えになる。
ないと不安だからといって、人生の大半を金に捧げるのか。
では、金のために生きないなら何のために生きるのか。
きりのない話が続いていく。ありのままを受け入れていらいらせず、笑って生きていく。そのために何が必要なのか。

余計なことを考えて生きないほうがいい

些細なことに何故なんだと深堀しないほうがいいかもしれない。考え事ばかりして気難しい顔をしている人より、何も考えず天真爛漫な人のほうがはるかに人として魅力がある。そういう人のほうが尊い気さえする。
学校教育とは、そういう人間を作るためにあるんじゃないだろうか。
世の中の矛盾をいちいち考えす、ありのままを受け入れて朗らかに生きる。国家としてもそういう素直な国民のほうが扱いやすい。健全だ。

結局何ががやりたいのか

長州だって、その後の顛末を見ると何がやりたかったのかさっぱりわからない。
付き合わされた橋本もさぞかし大変だったに違いない。特大ブーメランを投げてみせた長州はやっぱりエンターテイナーだった。健介道場にちゃんと金返したんだろうか。
こうありたい、そのために何は必要か、こんな駄文を延々と書き連ねつつ、このシンプルな問いに対して未だ答えを持ち合わせていない。今回のは記事でもなんでもなく、本物の雑記となってしまった。ちょっと慎まないといけない。
ここまで読んでいただきありがとうございました。